目黒書店

▶ 金魚 : 魚の話 (めぐろ少国民文庫 ; [4])

4、アユの養殖

 アユは日本人の最も好む魚であるから、近來これを池で養ふことが盛んになった。3月から6月迄の短期間に、その目的を達する甚だ有利な事業であつて、學校の水泳プールを夏期までに利用して、大きな利益を擧げた例もある。

 前に記したやうに、コアユはアユのすくない河川へ放つと、急速に生長することが石川博士と滋賀縣水産試験場の研究によって明かになったので、大正14年には、大量を 汽車で東京附近の多摩川へ放ち成功した。それ以後各地でこのことが盛んに行はれるやうになって、琵琶湖からは最近6、700萬尾のコアユが、自動車、汽車或は飛行機等で各地へ送られ、遠くは満洲國へも送られて育つている。

 コアユは川で大きくなると同時に、これを水の流れの十分な池でも飼ふことが出来ることが實験せられた。これはコアユに蠶蛹、魚粉等を澱粉と共に混合した人工餌料や、鰯などを與へて春3、4月から3ヶ月間飼育して、7、8cmの大さのものを、15、6cmの大さに生育せしむるものであつて、近來この事業がアユの需要と共に各地に盛んになった。

 稚魚の時代を海で生育したアユは、春3月頃にはまだ十分に鱗も發生しないで體も透明であるが、大群をして灣内や川口に群集している。そして適當な川のない灣内では、これを採取して淡水産のコアユと同じやうに、川へ放つたりまた池で飼ったりすることも出来るであらうと、石川博士は言ひ出されていたが、私は大正12年6月に愛知縣豊川川口で採集した海産の鮎を、愛知縣にあつた國立豊橋養魚試験場で飼育して生長せしめたことがあったので、同博士は自説に大に自信を得られた。私は同博士のすすめで研究を始めてゐる裡に、琵琶湖産コアユの輸送が大に盛んになったが、偶々昭和5年に琵琶湖のコアユが甚だ不漁で、池で飼ふものや、川へ放つ稚魚の不足に大に困ったので、海水である濱名湖のアユの稚魚を、大量に採取して放流し、また池でも飼った。翌年からこのことは、神奈川縣其他各地でも行はれるやうになった。

 アユは天然では川に産卵したものは、他の魚などに食はれ、またその他の人爲的の障害のために、繁殖を害せられることが多いので、大正4年以來アユの鵜飼で有名な岐阜長良川では、アユの産卵場で人工受精によって多量の卵を採取して、人工孵化をすることをはじめて大に効果をあげている。其後各地でもこれにならって人工孵化を實行しててる川もある。アユは粘着卵であるから、マスと同じ方法では人工受精をすることが出来ぬので、粘着を防ぐために、十分に成熟した親魚から搾った卵は、表面の滑かな器物、または鳥の羽毛の上に受けて、これに雄の精液をかけて、よくかき混ぜてから、木枠に棕梠の皮などの繊維を張ったものを、水中におき、その上に振りまいて附着せしめるのである。そしてこれを水を流通するやうにした木箱に納めて、川に浮かして孵化して、孵化後はそのまま川に放つのである。

 また習性のところで記したやうに、人爲的にアユを陸封性にする原理がわかったので、温室等の方法によらずとも、秋のはじめに孵化した稚魚を、水温がまだ低下しない時期までに十分生長せしめて、湧き水などの淡水で冬を越さして、これを稚魚として養ふこともできるから、将来はこの方法が行はれるであらう。